3大地場産業 〜草加せんべい〜

草加せんべい

「せんべい」と言えば草加と言われるほどに全国的に有名になった草加市ですが、古くから草加地方は「米どころ」といわれ、日本の「米」文化のなかで香ばしい味と香りが江戸の庶民に親しまれ、 今日の「草加せんべい」を生み出した要因だと言われております。 「草加せんべい」は江戸の昔、大名行列の頃、日光街道の草加の茶店で「おせん」というお婆さんが「おだんご」をつぶし乾燥させて焼き、 香ばしい醤油をつけたのが道行く人々の好みに合って広まったといわれております。
〜さいたま歴史探訪より〜

◆池澤商店(いけざわしょうてん)

池澤千明さん

池澤千明さん

◇せんべいのバリエーションを広げる

草加市のせんべい店の多くは、草加せんべいの代名詞でもある「醤油せんべい」を自分の店、あるいは自社工場で焼いている。
一方で、さまざまな味のせんべいも増えてきた。
ざらめ、みそ、磯辺巻きといった、味やつくりにひと工夫されたせんべいを「タネモノ」といい、これらのタネモノについては仕入れる店も多い。売り上げが読めない、つくるのに手間と時間がかかる上に、乾燥機などの機械を汚すといった問題もあるからだ。

池澤商店では、このタネモノをほかの店に卸している。今回は、池澤商店の販売店を任されている、3代目の池澤千明さんにお話を伺った。

種類豊富なおせんべい

種類豊富なおせんべい

久助せん

久助せん

◇たくさんの人たちに好まれる味を

せんべいを他店に卸すという性質上、池澤商店ではバランスの良い、たくさんの人たちに好まれる味を追求しているという。

取り扱うタネモノのせんべいは、海苔やざらめなどをはじめ十数種類になる(大葉、昆布、ピーナッツ、海苔巻、こしょう、ごまつき、にんにく、唐辛子、大ざらめ、茶臼、梅ざらめ、みそなど)。
これらは、せんべい店に卸すだけではなく、一般のお客様にも工場直売価格で提供している。
この内、みそと薄茶のせんべいは他店から仕入れているが、これは通常の乾燥とは異なり、さらに特殊な乾燥機でないと対応しきれないためだ。
このほか、製造工程で出た割れせんべいを「久助」と名付けて安く販売している。新製品の「手揚げせんべい」は大人気の商品となった。

レジ袋不要なお客様には1枚プレゼントしている

レジ袋不要なお客様には1枚プレゼントしている

◇買い物袋持参でせんべいをプレゼント

池澤商店の販売店と工場は、草加駅東口から徒歩13分ほどの場所にある。
販売店に入ると、ショーウィンドウにせんべいがずらり並べられている。お客様には子連れの女性も多い。
千明さんは、買い物袋を持参したお客様にせんべいを1枚プレゼントしている。「エコに協力したい」との思いから始めたことだった。小さな子供のお客様が池澤さんにエコバックを渡してくれると、とても嬉しくなる。
千明さんには娘さんがいる。「4代目はお嬢さんに?」と伺うと、「娘の幸せは強く願っていますが、店を継いでほしいとは思っていませんね。」と、母親の顔を見せた。

工場に続く道

工場に続く道

工場入口

工場入口

◇戦争疎開がきっかけで3代続くせんべい店に

池澤商店の初代は千明さんの祖父である幸吉さん。北千住でサラリーマンをしていたが、戦争で草加に疎開した。幸吉さんは千葉県野田市の出身で、醤油の産地ということもあり一般の人よりも醤油を手に入れやすかったことから、草加でせんべい屋を始めることにした。
これが、池澤商店のはじまりである。

2代目となる千明さんの父の照男さんは高校を中退して家業に専念するようになった。現在の工場は1965年に建てたものだが、照男さんが2代目の社長となってから工場の近くに販売店を出した。
「地元の人たちに、『ここ(池澤商店の工場)ではせんべいを売ってないの?』とよく聞かれたからだそうです。販売店を出した当初は、祖父母が店番をしました。」

祖父の幸吉さんが1989年に他界した後は、千明さんが接客するようになった。
販売店の休みは水曜日だが、千明さんは工場にも足を運んでいる。「家族経営ですから。」と、千明さん。

手揚げせんべい

手揚げせんべい

手揚げせんべい(個包装)

手揚げせんべい(個包装)

◇「おい、カルピスウォーターは売れたぞ?」

近年の池澤商店のヒット商品に、「手揚げせんべい」がある。
池澤商店にせんべいを買いに来る個人のお客様のほとんどは女性。しかし、手揚げせんべいだけは男性客が買いに来る。聞けば、"ビールのつまみにいい"のだという。

手揚げせんべいの味は、素朴な醤油ベース。おかきや、げんこつせんべいに似ているが、これらで使われているのは餅米。手揚げせんべいは普通の米を使っているので、胸焼けがしない。
「手揚げせんべいは、私たちが子供の頃に食べていたおやつでした。」

ある日、2代目の照男さんが「手揚げせんべいを売ってみてはどうか」と提案した。しかし、千明さんは父に反対した。「こんなせんべいを揚げただけの簡単なもの、商品にはならない。」というのが千明さんの考えだった。
すると2代目は、「簡単なものと言ったって、カルピスウォーターだってカルピスの原液を水で薄めただけのものじゃないのか。それが今ではたいへんなヒット商品だぞ。」

それはその通りだと、千明さんは納得。これはコロンブスの卵なのだろうかと店に出してみると、好感触を得た。
手揚げせんべいを商品化することで、さらにレシピに手を加えた。油は酸化するので、油をよく切ることで揚げ物は長持ちするようになる。
こうして手揚げせんべいは、池澤商店の定番商品となった。

おせんべいのバリーション

おせんべいのバリーション

ギフトセットの組み合わせも選べる

ギフトセットの組み合わせも選べる

◇草加せんべいの今昔

「昔の草加にはたくさんのお菓子屋さんがありました。それがコンビニエンスストアの登場により、多くのお菓子屋さんが町から消えていきました。」
せんべい業界でも流通が大きく変わった。同店は、以前は問屋にもせんべいを卸していたが、近年では問屋を通さずに卸先と直接取引するようになった。

流通だけでなく生産も変わってきた。
昔の同店は生地からせんべいをつくっていたが、1980〜90年代の好景気で大量生産を求められるようになって、生地は業者から仕入れるようになった。

近年では、人々の間で物のやりとりが少なくなった。
おつきあい、お返しの気持ちが、お菓子屋さんのように消えていった。

それでも、世の中は薄情になるばかりではないと、千明さんはいう。「よく買いに来てくれたおばあちゃんが、お亡くなりになりました。そうしたら、その娘さんが、小さいお子さんと一緒に買いに来てくれるようになったのです。」
「あのおばあちゃんのお孫さんが、いまも喜んで食べてくれているのだと思うと、とても嬉しくなりました。」

池澤商店のせんべいは、昔も今も、たくさんの人たちに好まれる味を追求している。

※掲載内容は取材当時の情報です。

池澤商店の店舗入口

池澤商店の店舗入口

有限会社池澤商店(いけざわしょうてん)

【住所】
 〒340-0017 埼玉県草加市吉町5-1-12
【電話】
 048-922-5818
【営業時間・定休日】
 9:00〜18:00 水曜定休

◆田倉屋(たぐらや)せんべい店

田倉屋せんべい店の店内

田倉屋せんべい店の店内

田倉亮一氏

田倉亮一氏

◇子供から年配まで食べやすい草加せんべいを

草加中学校の正門からすぐ近くにある田倉屋。
古風な外観でありながら清潔感のある平屋建ての建物で、5台分の広い駐車場がある。来店客の多くは手焼き草加せんべいの懐かしい味を求めて、車で田倉屋を訪れている。
店内の売り場には、たくさんの種類の草加せんべいが置かれていて、お客様の休憩スペースとなる大きなテーブルもある。
店の奥には、せんべいを焼くための作業場があり、せんべいに醤油をつけるためのベルトコンベアのような機械と、大きな長方形の火鉢がある。
田倉屋の草加せんべいは昔ながらの炭火焼き。小さな子供から年配者まで幅広い層が食べやすいように、薄く柔らかいのが特徴だ。

田倉屋は、現在4代目の田倉亮一氏と妻の幸子さんのご夫婦で仲良く切り盛りをしている。今回は田倉亮一氏にお話を伺った。

炭火焼・青のりせんべい

炭火焼・青のりせんべい

梅ざらめ

梅ざらめ

豊富なラインナップ

豊富なラインナップ

◇タバコ屋、よろず屋、せんべいと4代続く

田倉屋の昔を知る年配者には、今でも「タバコ屋さん」と呼ぶ人もいる。
田倉屋は1897年(明治30年)頃、田倉氏の曾祖父に当たる田倉貞蔵氏が商売を始めたのがはじまり。田倉氏はこの曾祖父を「初代」と呼び、自身を「4代目」と称している。
初代の貞蔵氏は、もともとせんべい屋ではなく、農家から牛馬を買い取り、それ売りさばく博労(ばくろう)をしていた。その仕事を続けながら、1929年(昭和4年)にタバコ屋を始めた。
2代目、栄次郎氏の代になると、タバコを売る片手間にせんべいをつくり売るようになった。終戦後には「田倉商店」の看板を出し、パンや菓子、切手、雑貨、雨具までを扱う、よろず屋になった。
「このあたりに店と呼べるものは、田倉商店しかなかったのです。だから、生鮮食料品以外は何でも売るようになりました。」
2代目は妻のけんさんと共に店を仕切り、その2人の間に生まれたのが、田倉氏の母、弘子さんだ。父は田倉家に婿養子に入ったが、公務員の本業もあり家業に専念することはなかった。「しかし、よく店を手伝ってはいたようでしたね。」と、田倉氏。その父が交通事故で若くして急逝した当時、田倉氏は3歳の幼児だった。
「ですから、田倉商店の3代目は私の母です。祖母も母も大変な働き者でした。その頃は、せんべいの生地もつくっていて、私も手伝っていました。」
田倉氏は小学校に上がる前からせんべいに醤油を塗る手伝いを始め、小学校高学年になるとせんべいを焼くようになった。
「一生懸命にやりました。だってそうしないと、お小遣いをもらえませんでしたから。」

店内の様子

店内の様子

店内の腰掛けスペース

店内の腰掛けスペース

◇時代の流れで、せんべい屋を専業に

「せんべいは焼けば焼いた分、どんどん売れていました。大晦日には深夜まで焼き続けましたよ。単価の安い時代に、1日で100万円を売りあげたこともありましたね。元旦は休みですが、2日からまたせんべいを焼きはじめました。」

その後、母の願いを察した田倉氏は、店を継ぐ決心をした。
1977年に草加せんべいの専業となり、5年後には店を改装し、店名を「田倉屋」に変えた。
「時代は常に変わってゆきますから」と、田倉氏。
「最近では、新聞紙の資源ゴミを見かけなくました。インターネットの普及で、新聞を購読する人が少なくなったのかもしれませんね。」
時代と共に草加の景色はどんどんと変わってゆく。人口が増えれば繁華街ができ、店も増えた。駅前ではアコスやヴァリエが大きく集客を伸ばす。
かつての田舎町にあった「よろず屋」はその役目を終え、静かに消えていった。

手焼きの様子

手焼きの様子

醤油が塗られていく

醤油が塗られていく

出来たてのおせんべい

出来たてのおせんべい

◇炭火の手焼きせんべいに魅せられて

取材中も、田倉氏はどんどんせんべいを焼き続ける。
火鉢には、単に熱いのではなく、ほっとする温かさがある。
「炭の熱は柔らかい。夏場でも、仕事場にいられる。ガスや電気だと強烈な熱さで作業していられない。デパートなどでの手焼きの実演は、消防法で炭を使えませんから電気で焼くでしょう。大変だと思いますよ。」

1999年には現在の店に建て替えて、駐車場をつくったことで来店者数も大きく伸ばしている。「お客様の7割が、車でいらっしゃるようになりました。」

手焼きの田倉屋では卸売りをしない。1日に700〜800枚を焼くのが限界だからだ。だが、「個人店は厳しい時代になってきた」と田倉氏は言う。
以前は、正月、3月のお彼岸、7月のお中元、9月のお彼岸、10月のお歳暮、暮れの実家へのおみやげと、せんべい屋にとって忙しい時期が続いていた。ところが最近は、物のやりとりが少なくなってきた。

それでも、遠方から田倉屋のせんべいを買いに来たお客様に、「おいしかったからまた来たよ」と言われると、心から嬉しい。年配者から「よい米を使っている」と褒められるのが嬉しい。
田倉氏は1年の内で元旦は休むが、ほかの日はよほどのことがない限り、毎朝8時にはせんべいを焼きはじめて店を開く。
「今のお客さんは、いろいろな味を好むようになりました。客層が昔とは違うのです。」
そう言いつつも、田倉氏は昔ながらの炭火焼きの草加せんべいの味を守り続けている。

※掲載内容は取材当時の情報です。

田倉屋の店舗入口

田倉屋せんべい店の店舗入口

田倉屋(たぐらや)せんべい店

【住所】
 〒340-0043 埼玉県草加市草加1-3-4
【電話】
 048-942-0403

◆丸草一福(まるそういちふく)

高橋恒夫氏

高橋恒夫氏

◇米の善し悪しは玄米から

「草加せんべいは、米が大事。丸草一福で使う米は、地元の契約農家が作った品質の高い新米、もしくは埼玉県の一等米です。これらを白米ではなく、玄米で仕入れます。生地をつくる直前に、使う分だけ精米機で玄米を白米にします。」
米の善し悪しは、玄米を見ないとわかりませんよ、と熱く持論を語ってくださったのは、丸草一福の2代目である高橋恒夫氏だ。
高橋氏によると、北日本でとれる米は軟質米で、西日本では硬質米。関東の米はその中間の「中質米」で、草加せんべいにもっとも適しているのだという。
丸草一福のせんべいは、米への強いこだわりからひとつひとつの製造工程が成り立っている。

原材料のお米へのこだわりは強い

原材料のお米へのこだわりは強い

敷地内に佇む七福神の石像

敷地内に佇む七福神の石像

◇米づくりから始まった丸草一福

丸草一福は、先代の高橋登氏が1961年に創業した。先代はもともと農家であり、お米についての知識が豊富だったため「本当に良いお米を使って、旨いおせんべいを作ろう。」と、生地屋から始まり、草加市内のせんべい屋に生地を卸していた。
1964年頃、広い敷地内に草加せんべいの工場をつくった。一枚一枚のせんべいを手焼きのように、押しては返しながら丁寧に焼き上げる機械を導入。堅く厚みのあるせんべいを焼くことができるようになった。
先代は「一枚のせんべいに幸福を感じてほしい」という願いから、このせんべいに「一福せんべい」と名付けた。また、登録するにあたって、せんべいの形である「丸」に稲草と草加市の「草」を付けて、「丸草一福」とした。

おせんべいの生地

おせんべいの生地

丸草一福のおせんべい

丸草一福のおせんべい

◇米の精製から焼き上がりまで5日以上

丸草一福のような堅くて厚みがあるせんべいは、つくるのに手間も時間もかかる。
せんべいの生地は、のし機で型抜きをした後に、8時間以上かけて蒸気乾燥させる。次に焙炉を使って水分を均一にするために4〜5時間温めてから、ようやく焼きの作業に入ることができる。
「こうした工程と時間は、米のうまみを引き出すのに必要。」と、高橋氏。玄米の精米から1枚のせんべいを焼き上げるまでに、5日以上をかける。

「厚焼きにすることで、米のおいしさがよく分かります。堅いものを噛むのは、健康にもいい。」と、高橋氏は強い信念を語る。

丸草一福の店内

丸草一福の店内

ギフトのおせんべい

ギフトのおせんべい

◇卸売りはしない、直販へのこだわり

丸草一福の店舗は現在、本店のほかに草加旭町店、草加松原店、東草加店、川口店がある。
草加旭町店は、それまで生地屋だった先代が「生地では直接お客さまに喜んでもらえない。」と開いた最初のせんべいの販売店舗だ。車社会になることを見込んで、その当時に駐車場もつくった。
その後、本店でもせんべいを販売して店舗を増やし、現在はネット販売も行っている。

丸草一福では、卸売りをしていないが、それにはいくつかの理由がある。
「卸売りをすると、価格を下げなくてはならない。つまり、質を落とすことが求められます。それにはとても納得できませんでした。それに、丸草一福のせんべいはとても手間暇がかかっています。デパートやスーパーからお話を度々いただいていますが、丸草一福のせんべいは卸売りをするほど大量生産ができないのです。」
また、デパートやスーパーは、安く、薄く、柔らかいせんべいを好む。それは高橋氏が目指す草加せんべいとは相反するものだった。
「良いものを低価格で」
これを実現するには直販しかないと高橋氏は答えを出したのだという。

店舗前に構えている草創庵博物館

店舗前に構えている草創庵博物館

手焼き体験も楽しめる

手焼き体験も楽しめる

◇理解者を増やすための工場見学と手焼き体験

丸草一福の本店工場の敷地内には、「草創庵博物館」と称する草加せんべいの資料館があり、農耕具や古美術品などが展示されている。また、ここでは工場見学とせんべいの手焼きを体験できる(詳細・予約方法は同社ホームページを参照)。
工場にある焼き上げの機械は全長7メートルもある巨大なもの。地元の技師が制作したものだそうだ。せんべいを焼き、押し、裏返すという一連の作業を機械が行う。工場内の熱さを忘れるほど、見ていて楽しい。

工場見学と手焼き体験を始めた理由を高橋氏に伺うと、「丸草一福の作る草加せんべいの理解者を増やすために始めました。宣伝としては決して効率の良いやり方ではないのかもしれないけれど、積み重ねが大事ですからね。小学生たちが授業で訪れることもあります。食べ物をよく噛むことの大切さ、箸を使うことの大切さ、そんなことを考えるきっかけになってくれればいいと思います。」

※掲載内容は取材当時の情報です。

丸草一福の店舗入口

丸草一福の店舗入口

草加煎餅丸草一福(そうかせんべいまるそういちふく)

【住所】
 〒340-0002 埼玉県草加市青柳2-16-18
【電話】
 048-936-6301
 0120-037-129
【ホームページ】
 http://www.sokasenbei.co.jp/

◆草加功栄堂本舗(そうかこうえいどうほんぽ)

先代の萩原功氏は、叔父が営んでいた加賀屋というせんべい屋で修行をして、その後、1960年(昭和35年)に「萩原米菓」というせんべい屋を開いた。
草加功栄堂本舗の設立は2005年。先代の名から社名を付けた。現在の店舗は、草加駅西口から徒歩1分で、地元の方も観光客も、足を踏み入れやすい立地にある。

お話しを伺ったのは、草加功栄堂本舗の2代目で現在社長を務める萩原昭仁氏。
草加功栄堂本舗は、「厚焼せんべい橘」(たちばな)が人気商品で、手焼きができない厚さのため、すべて機械で焼いている。
近年になると、食べやすい手焼きの薄いせんべいの需要も高くなっている。取材中には激辛の唐辛子せんべいなどが売れていったが、萩原氏は「(辛くて)私もなかなか食べられません。」

萩原昭仁氏

萩原昭仁氏

豊富なバリエーションのおせんべい

豊富なバリエーションのおせんべい

◇卸売から店舗販売へ

せんべい屋で生まれ育った萩原氏は、若い頃からいずれ自分も客商売をするだろうと考えていた。まず、御徒町の百貨店で2年ほど勤めた。その後、お茶屋さんに入社し、25歳で萩原社長は妻と共に実家に戻り、店を継ぐ準備を始める。他店で1ヶ月、先代の同級生が営むせんべい生地屋で1ヶ月の修行をする。このせんべい生地屋さんは沼口米菓で、現在も草加功栄堂本舗では沼口米菓から生地を仕入れている。

先代の時代は無店舗の卸売りが専門だった。1984年(昭和58年)に現在の場所に建物を購入し、1階に店舗を、2階には工場を構えた。2階の工場では、焼きからパッキングまでを行っている。
1回に焼くせんべいの枚数は、およそ1万枚。湿気を寄せ付けないように、30以上の茶箱に保管する。在庫がなくなってきたら、また焼く。
せんべい作りは夏場がたいへんだ。作業場は50度以上になり、夏の湿気はせんべいの大敵だからだ。毎年、夏が終わると、萩原社長はほっとするという。

卸売りは現在も続けている。イトーヨーカドーの錦町店と宮原店に卸す分は、お中元、お歳暮、お年賀にかなりの量が出る。このほか、草加市内の大手コンビニエンスストアにも卸売りをしている。

接客中の萩原氏

接客中の萩原氏

◇家族の力があったからこそ乗り越えられた

萩原社長が48歳の時、たいへんなことが起きた。脳出血を発症したのだ。命を取り留めたものの、術後は半身が麻痺した。このままではせんべいを焼けない。
萩原社長が広島県の著名なリハビリセンターで長いリハビリ生活を送る間、先代と妻、パートさんが草加功栄堂本舗を守った。そして萩原社長は回復。再びせんべいを焼くことができるようになった。
家族の力で倒れる前と同じ生活が戻った。今でも「包装がつらい。」とのことだが、みんなが助けてくれている。

秋の装飾を施した店内

秋の装飾を施した店内

◇様変わりした草加市の風景

草加市は、コンビニや大型スーパーマーケットができて、大きく様変わりした。そして、かつては50〜60店あるといわれた草加市のせんべい屋だが、現在残っているのは30数店。
「後継者問題が大きい。」と、萩原社長。かくいう草加功栄堂本舗でも、後継者は決まっていない。2人の子供たちは独立し、すでに自分の暮らしを持っている。
「はじめて草加市を訪れたというお客様から、『草加市は案外、せんべい屋が少ないんですね』という話をよく聞きます。確かに、4駅で30数店ではそう感じるかもしれません。」

草加功栄堂本舗の店内(1)

草加功栄堂本舗の店内(1)

草加功栄堂本舗の店内(2)

草加功栄堂本舗の店内(2)

◇日本橋から草加市までせんべい屋台のリヤカーを引く

萩原社長が加入している草加地区手焼煎餅協同組合には、青年会と親会がある。
1995年の24時間テレビでは、青年会で世界一のジャンボせんべいを焼いた。このとき、萩原社長は青年会の青年会長だった。「良い経験だった。」と、萩原社長は当時を振り返る。その後も青年会では、海外でせんべいを焼くなどのPR活動を続けている。
萩原社長が事業委員長だった2002年には、親会で「草加せんべいかおり旅」と称して、日本橋から1昼夜かけて徒歩でリヤカーを引いた。このリヤカーの名前は、「Shou You号」。せんべいを手焼きできる屋台に仕立てられた。「若いからこそできたイベントですね。」と、萩原社長。
こうしたチャレンジ精神は、今の草加市の若いせんべい職人にも引き継がれている。だからこそ、「草加市の将来?安心していますよ。みんな、励まし合いながら、がんばっていると思います。」と、萩原社長は温かい笑顔を見せる。

草加功栄堂本舗の店舗入口

草加功栄堂本舗の店舗入口

有限会社草加功栄堂本舗(そうかこうえいどうほんぽ)

【住所】
 〒340-0034 草加市氷川町2119-1
【電話】
 048-925-5875

◆春日堂(かすがどう)

田口保氏

田口保氏

人気の手焼煎餅

人気の手焼煎餅

◇昔ながらの味を守り続ける

同じ醤油味の草加せんべいであっても、店によって味に違いは出る。その中でも「春日堂の草加せんべいのタレは、独特。」と、春日堂の田口保社長。草加駅前にあるイトーヨーカドー店を訪ね、田口氏に春日堂のせんべいの特徴についてお話を伺った。

「塩味の強い味付けです。今風に多少薄くはなりましたが、基本的に昔の味を守り続けています。春日堂の草加せんべいは、いわゆる『誰にでも好まれる味』を目指してはいません。私は、7割のお客様が春日堂を支持してくれれば、それで良いと考えています。」
春日堂の草加せんべいは、昔ながらの醤油味が基本。生地は、機械で乾燥させたものではなく、天日干しを使用している。
「この生地からは、お日様のにおいが伝わってくる。例えるなら天然物と、養殖物の違いがあります。」

春日堂のお煎餅

春日堂のお煎餅

ハート型のお煎餅

ハート型のお煎餅

◇初代からすべてを受け継いだ

春日堂の創業は昭和30年代頭。社名は初代の故・田口春夫氏の名からとったものだ。初代はせんべい屋だった妻方の実家での修行の後、店を構えた。
初代が現社長の田口保氏に店を譲り、引退したのは10年ほど前のこと。そして初代の春夫氏は2016年(平成28年)に89歳で他界した。

2代目の田口氏が婿養子になり春日堂に入ったのは、昭和40年代の初頭。初代は「経営者は自分で動いては駄目。」という考えから仕事のすべてを田口氏に任せていたため、「結婚してから遊ばなくなった。」と田口氏。1971年(昭和46年)に春日堂が法人化され田口氏が店長になると、ますます多忙になっていった。

春日堂の店内(1)

春日堂の店内(1)

春日堂の店内(2)

春日堂の店内(2)

◇卸売りのむずかしさ

田口氏と先代との間で意見が対立したのが、せんべいの卸売りについてだった。
初代社長は、卸売りには反対だった。卸売りをすれば仲介者が入る分、せんべいの卸価格を下げなければならない。しかし、安く売るには、その分だけ質を落とすことになる。
それに納得できなかったのだ。
「初代社長はお金よりも、信用をとったのでしょう。でも、卸売りの引き合いは、たくさんありました。結局、初代社長を説得して大手コンビニエンスストアと取引することにしたのです。店舗との直接取引でしたので、安く買い叩かれることはありませんでした。」
こうして春日堂は、大手コンビニエンスストアの10店舗に卸売りを始めた。最初はとても忙しかった。しかし、卸売りは2年間で幕を引くことになる。初代が危惧したように、価格競争を強いられるようになり、撤退したのだった。

春日堂の店内(3)

春日堂の店内(3)

春日堂の店内(4)

春日堂の店内(4)

◇時代の変化にあわせて

春日堂には手焼きと機械焼きのせんべいがある。せんべいの手焼きは1人がタレをつけて、2人の職人が焼きを担当する。1日に生産できるのは、1千枚程度だ。
機械焼きでは1人がすべての行程を行い、1日に6〜7千枚を生産できる。近年では機械の性能も上がり、「クズ(商品にならない部分)を出さなくなった。」そうだ。
「機械焼きの普及により一時期は、手焼きができる職人が少なくなりました。しかし最近は、機械でつくるとかえって過剰生産になってしまう。このため、手焼きに戻っている店が出てきたと聞きますね。」

イトーヨーカドー店は、1992年のオープンで、当初は大きな売り上げがあった。「ところが、バブルがはじけてから細っていきました。」
その後、当初の売上になかなか戻らなかったこともあり、お客様のニーズに合わせて種類を豊富にした。
味噌やにんにく、からし、ざらめなどを開発。結婚披露宴などを想定し、ノベルティな「文字入り草加せんべい」を扱うようにもなった。
現在のお客様は高齢者が多いが、「若年層にも広がりを見せたい。」と、田口社長は語る。

ギフトセットも充実

ギフトセットも充実

◇そして3代目へ

田口社長には、3人の息子がいる。春日堂の3代目を継ごうとしているのは、次男の田口裕康氏。裕康氏は大学卒業と同時に、春日堂に入社。現在、イトーヨーカドー店は裕康氏が店長をしている。「春日堂の対外的なことも、すべて次男に任せている。次男(裕康氏)は、幼い頃から商売に向いた性格だと思っていた。」と、2代目は語る。
裕康氏は、2010年に草加せんべい振興協議会のメンバーとして訪米し、ニューヨークでせんべいを焼いた。2011年の東日本大震災では、被災地でせんべいを配った。さまざまな活動を通じて、日銭の商売だけでなく、将来の顧客や、草加市への観光客の獲得に向けたPR活動なども活発に行っている。

草加せんべいのキャラクター・パリポリくん

草加せんべいのキャラクター・パリポリくん

◇今の若い人たちは、昔よりもずっとしっかりしている

田口社長に草加市で働く若い人たちへのメッセージをお願いすると、「今の人たちは、自分の世代よりも、ずっとしっかりしています。だから、『がんばってください』くらいしか言えないかな。」と少し恥ずかしそうに言う。
草加市のせんべい屋は後継者問題が深刻で、かなりの数が廃業している。しかし、3代目のように将来を見据えながらがんばり続けている人たちも多い。再び草加せんべいが、新たなムーブメントになることに期待したい。

春日堂の店舗入口

春日堂の店舗入口

株式会社春日堂(かすがどう)

<北谷本店>
【住所】
 〒340-0046 埼玉県草加市北谷1-6-15
【電話】
 048-943-2848

<イトーヨーカドー店>
【住所】
 〒340-0015 埼玉県草加市高砂2-7-1 アコス南館1F
【電話】
 048-922-2465

<ホームページ>
 http://kasugado-senbei.com/

◆大馬屋(おんまや)

草加せんべいの老舗のひとつである大馬屋(おんまや)の鈴木弘道氏に、大馬屋とせんべいの今昔を語っていただいた。

大馬屋の鈴木弘道氏

鈴木弘道氏

大馬屋の鈴木弘道氏と三男

鈴木弘道氏と三男

◇「大馬屋」の屋号は江戸時代から

創業160年を越える大馬屋は、実はもともとせんべい屋ではなく、伝馬(でんま)という業者をとりまとめたことがその名前の由来である。伝馬とは宿場間をつなぐ馬を使ったタクシーのようなもので、千住宿から草加宿、草加宿から越谷宿というように、それぞれの宿場をつなぐ役目を果たしていた。その茶屋が大馬屋の発祥である。
鈴木氏が大馬屋の出自を調べたところ、草加市に江戸時代の屋号の記録が残されていた。店の歴史はあるが、一番古い歴史の店かどうかは戦災などで多くの記録が消失されて不明だそうである。

大馬屋がせんべいづくりをはじめたのは、伝馬で商売する時代の終わり頃。せんべいの生地の製造業者として販売を始めた。屋根瓦の上でせんべいの生地を天日干しする大正時代の写真も残っている。
先代からは焼き専門のせんべい店となり、鈴木氏はせんべい屋として3代目にあたる。現在は、長男の弘道氏が営業販売と配送、次男が工場長、三男が手焼き職人と、3兄弟で分担して運営している。兄弟でぶつかる時もあるが、3人で商売をすることのメリットのほうがはるかに大きいという。

大馬屋の焼き立てのお煎餅

焼き立てのお煎餅

大馬屋のおすすめのお煎餅「満点」

おすすめのお煎餅「満点」

◇せんべいの基本は「お醤油」

大馬屋の商品の種類は120点以上あるが、一番人気は「やっぱりお醤油」。割合としても7、8割を占める。
「昔ながらの、しょっぱい感じのおせんべい」が特徴で、割った醤油せんべいの断面を見るとしっかりと醤油が染み込んでいる。草加せんべいといえば隣県の千葉県野田市の醤油を使っているイメージが強いが、あえてその風味の個性を重視して栃木の醤油を選んで使っている。

醤油せんべい以外では、砂糖をまぶした甘しょっぱい「ざらめ」や、最近は「満点」という揚げせんべいも人気がある。
満点は、焼く前にこわれてしまった生地を醤油に染み込ませてコレステロールゼロのキャノーラ油で揚げたもの。店頭のサービスとしてお客さんにプレゼントをしていたが、人気となり商品化した。

手焼きについてもこだわりがある。
職人である三男は、草加駅前のアコス店でせんべいの手焼きを店頭で行う。手焼きせんべいの生地は、手焼き専用に用意された天日干しのもの。
手焼きは1日300枚から350枚くらいまでが限界で、素早く丁寧な箸さばきで一枚ずつ焼き上げていく。天日による生地の熟成乾燥によって米の風味の豊かさが増し、焼きたての香りもとてもよい。

大馬屋の店内・その1

大馬屋の店内(1)

大馬屋の店内・その2

大馬屋の店内(2)

大馬屋の店内・その3

大馬屋の店内(3)

◇伝統と看板をこれからの時代にも伝えていきたい

江戸の伝馬から、時代に合わせて変化してきた大馬屋だが、これからの草加せんべいはどうなるのだろうか。
草加せんべいは、草加市を代表する全国区のブランドである。地図上で市の位置はわからなくても「草加せんべい」の名は知っているという日本人も多い。しかし、柔らかで華やかなお菓子があふれる現代では、和菓子も含めて業界として苦戦しているのが現状だそう。
ブランド力はあり、いろいろと工夫して商品づくりをしてきたが、市内のせんべい屋が「内需」で賄えていたこともあり、「時代に合わせたやり方をなんとか考えていかないと」と大きな危機感も持つ。
そこで、2016年3月からは国境を越えて、ヨーロッパ最大の小売店であるカルフールのフランス現地での出品を開始し、常設の販売も行う。

「いまは伝統を残すのがとても難しい時代。伝統を残すためにも、変えられるところは変えていかないと衰退してしまいます。せんべい屋はこれまで個人経営でそれぞれがやってきたが、今後はせんべい屋同士の横のつながりも大切で、業界全体で草加せんべいのブランドの価値をさらに高める努力も必要になるだろう。」という。

江戸時代の伝馬からせんべいへ、生地卸から焼き専門へ、地産地消から海外へと、時代に合わせた変化で伝統を守ってきた大馬屋だからこそ、これからも草加せんべいの味を伝えたいという想いはとても強い。

大馬屋の店舗入口

大馬屋の店舗入口

大馬屋(おんまや)

<アコス店>
【住所】
 〒340-0015 埼玉県草加市高砂2-7-1 アコス南館1F
【電話】
 048-922-2461

<神明店>
【住所】
 〒340-0012 埼玉県草加市神明2-4-13
【電話】
 048-936-5557

<ホームページ>
 http://www.onmaya.co.jp/

◆豊田屋(とよだや)

こだわりの一枚でも大量生産品でも、一見どれも同じに見えるせんべい。しかし、同じ見た目でもその中身は確実に違う。
このせんべいの違いについて、豊田屋の3代目、豊田重治氏にお話しを伺った。

草加駅から東へ徒歩10分ほどの場所にある豊田屋のご主人、豊田重治氏は50年以上せんべいを作り続けている大ベテラン。
豊田屋は昭和7年(1932年)の創業で、先代までは生地卸(きじおろし)が中心だったが、現在は、豊田屋の後継者となる長男とともにせんべいの生地卸と店頭販売を営んでいる。

豊田屋の豊田重治氏

豊田重治氏

豊田屋のお煎餅の生地

お煎餅の生地

◇せんべいの「生地」

あまり聞き慣れない「生地卸」とは、焼く前のせんべいの生地を製造してせんべい屋さんに販売する仕事である。いわばラーメン屋さんにとっての製麺所のような立場で、さまざまな注文に合わせてサイズや原料を変えて生地を出荷するのだ。

東京にもせんべい屋は多いが、実は都内で生地からつくるせんべい屋は少ない。その多くがせんべいの生地を仕入れて店頭で焼くので、東京みやげのせんべいも、実は草加産の生地という可能性はある。

豊田氏の工場では、生地をつくるための設備が多くを占める。
洗米した米を粉にして、蒸して練り、薄く伸ばして、丸く型を抜き、乾燥させるといった一連の工程を行い、一枚一枚の白くて丸い生地が完成する。一つ一つの器具を見れば、せんべいが米でできているものと強く実感させられる。
この生地づくりで重要なのが、生地の乾燥で、乾燥し過ぎれば焼く前に割れてしまったり、せんべいの焼き上がりの硬さにも大きく影響したりする。季節や気温、湿度にも大きく左右される。出荷のタイミングや焼く頃合いを判断するのに豊田氏は生地同士を軽く叩いて音の変化を聴く。この乾燥の具合を正確に見極めようとすると、職人の経験と勘がどうしても必要になるそうだ。

豊田屋のお煎餅-1

豊田屋のお煎餅(1)

豊田屋のお煎餅-2

豊田屋のお煎餅(2)

豊田屋のお煎餅-3

豊田屋のお煎餅(3)

◇豊田屋の「硬いせんべい」

豊田屋で焼かれるせんべいの特徴はその硬さにある。
「硬いのが私の好みということもあって、硬いせんべいにしています」と豊田氏。品名にも「堅焼」と銘打っている。
せんべいが硬いと聞くと、食べづらいと思われそうだが、噛みづらいどころか、むしろ歯ごたえの心地よさを感じながら味を楽しめる程度の硬さと思ったほうがよい。

味付けは先代から変えず、キノエネ醤油(千葉県野田市)の醤油をベースに独自のブレンドを行う。日本人の嗜好の変化に合わせて昔よりは少し甘くなったそうだが、実際に食すと、ほどほどの厚みと噛みごたえのある食感、しっかりとした醤油の香りと米の旨味が口の中に広がる。
豊田屋で使う米は、年ごとに米の出来具合を見極めて選んでおり、現在は栃木のコシヒカリと山形産の「はえぬき」が多い。はえぬきは、知る人ぞ知る良味の米で、米の食味ランキングで特Aを長年取り続けている一品である。

草加せんべいに共通した特徴としては、味や香りだけではなく見た目もある。
草加せんべいを焼く際には、丸い「押瓦」(おしがわら)という押しごてを使う。いまでは押しごてのついた機械も使うが、いずれにせよ押瓦でせんべいが膨らまないように押さえつつ、平滑なせんべいになるように焼く。

豊田屋では創業から醤油をつけるのに刷毛を使っていたため、醤油をつける機械もブラシを使った専用のものを使う。いろんな醤油のつけ方があるが、「塗ったほうが、せんべいが一番きれいに見える」というこだわりもある。
お店での一番人気は、やはり醤油せんべい。そして、胡麻、あおさなどが続いている。

豊田屋の工場

豊田屋の工場

豊田屋のお煎餅の原料(お米)

お煎餅の原料(お米)

豊田屋のお煎餅の製造機

お煎餅の製造機

◇草加せんべいの命は「米」、品質は「いまが最高」

長年に渡りせんべいの生地をつくり、焼いてきた豊田氏。一番大変だったのは平成5年(1993年)の日本で起きた米不足だそう。
せんべいの原料は私たちが普段食べる米と同じうるち米を100パーセント使う。そのせんべいの命ともいえる米不足の際には、緊急輸入したタイ米の使用の要請もあった。しかし試しにつくってみたものの、せんべいとしては硬すぎて商品にはできず、原料供給で振り回されたことも多々あったという。

せんべいの種類にもよるが、一般的には国産米や外国産米、もち米やでんぷんなど、さまざまなものが原料として使われる。大手メーカーの質もかなり良くなってきたが、草加せんべいでは豊田屋のように国産の良質な素材が使われている。
味のごまかしがきかない分、原材料のコストや人の手間なども考えると、一見すると普通のお醤油のせんべいが実は一番高級になる。

「いまは草加市全体でせんべいの米は良いものを使っています。最高といっても言い過ぎではない。これ以上の煎餅はなかなかできません」
いまは柔らかい食べものが好まれるから硬いせんべいは人気がない、などといいつつも、豊田氏の言葉からはつくり手としての誇りも感じられる。

せんべいとは、米と醤油を味わうもの。シンプルさゆえに見過ごされがちな日本の食の本質が、一枚一枚のせんべいに込められている。

豊田屋の店舗入口

豊田屋の店舗入口

豊田屋(とよだや)

【住所】
 〒340-0016 埼玉県草加市中央1-6-21
【電話】
 048-922-2611

◆草加亀楽煎餅本舗

亀楽

亀は万年、楽しく生きるという理由から亀楽と名付ける。
200品目超を主力として草加市中心に店舗展開をしている。
「安全と天然素材の美味しさを追求してお客様に喜ばれる商品を提供する事、また、草加せんべいを世界的なマーケットに売り出すことが私の志」と沼口氏。食の安全に万全を期して、厳選された良質な米、何年も探した醤油で、現代の草加せんべいづくりに邁進している。
亀楽の煎餅作りにブレは必要ない。味への追求に答えは無いのだが、ものづくりとしての真心と味の統一化を計り、より美味しく食べていただくことをモットーにしている。
かつて中国へ行ったとき、道行くひとに片っ端から煎餅を配り歩いた。 食べてもらって、煎餅の美味さを伝えたい一心で。 「おいしい」その一言をきくために沼口氏は世界に目を向け、草加せんべいを広める活動を現在も継続中である。  







亀楽

また亀楽には草加市認定の「伝統産業技士」が6人おり、職人の隠れワザが光っている。職人が強力な炭火の上で箸を器用につかい、何度もひっくり返す。 小気味よい音が網から聞こえ、煎餅の香ばしい匂いが鼻孔に広がる。 押し瓦で押さえ、そして固める。それが職人技。
「地域貢献をしながら、もっと多くの心のつながりができたらいいと思っている。」沼口氏は最後にそう締めくくった。







亀楽

草加亀楽煎餅本舗
<ホームページ>http://www.sokakiraku.co.jp/
<所在地>〒340-0001 埼玉県草加市柿木町1129
<電話> TEL 048-936-1202

◆高瀬煎餅店

高瀬煎餅店

4代目高瀬一也氏。
 長男で生まれ、会社員としても働いていたが煎餅を伝えたい思いと家業を継ぐために戻り現在に至る。
 初代の高瀬大治氏が戦後まもなく、当時は煎餅の生地だけをおろしていたところ、自分たちでも焼いてみようと言う事になった。それを草加で販売し始めた。
 草加の煎餅の作り方はほぼ同じではあるが、違うのは醤油や米の質や味の工夫で変わってきている。
高瀬煎餅店ではコシヒカリを使っている。味の質や甘みが違うのと粘りが違っている。また他の煎餅と違うのは「風味」が違う。備長炭を使っての香ばしさが違う炭火手焼きにもこだわり、手法では煎餅の生地をギリギリまで見極めて焼きすぎない程度によく焼くのがうちのやりかた。それが他の店と違うところだと思っている。




高瀬煎餅店

うちの煎餅は個包装が無いのだけれど、その理由はどっさり入っているとお互いに風味の調和や水分を程よく吸収するようになっているから。
そうする事によって味の質が落ちるのを緩和している。でも本当は開けたらすぐに食べてほしいですけどね。
写真は高瀬煎餅おすすめの醤油炭火や手焼き煎餅 和食と同じように将来的に広がっていけばいいと思っている。  







高瀬煎餅店

高瀬煎餅店
<ホームページ>http://www.takase-senbei.com/
<所在地>〒340-0012 埼玉県草加市神明2-2-6
<電話> TEL 048-931-5401
<営業時間>9:00~19:30
<定 休 日>日曜日